このまちの未来について、風間しげきが思うことを綴っていきます。皆様のお声もぜひ、お聞かせください。
BayPRESS 840号 /2018年03月24日発行
「ヤマサク春のセンまつり千人ライブ」にカミさんと二人で出かけた。山作戰、本名高山真徳、熊本出身、東京で21年間活動後、奥さんの故郷、蒲原を拠点に移す。「45歳のオッサンが、人生を捧げるコンサート!」。会場は満席。魂の叫びが、会場を一つにしていった。
音楽科出身のカミさんがしきりに褒めていた。体育会系にはうまく表現できないが、「人生を捧げる」って言葉の意味が確かに伝わって来た。
山作戰との出会いは異業種交流会。何とも不思議な空気を感じた。千人ライブは地方のミュージシャンにとって楽な事ではない。実現まで必死になって協力し続けたのは、世のオッサンたちが忘れかけた「挑む姿」に感銘した仲間や企業の経営者達だった。
「ファイト一発、オロナミンC」の声、「機動戦士ガンダム20周年記念アルバム」のコーラスを担当。桜えびの漁の風景を描いた「ゆいのうた」も好評。「防災フェスタinしみず」にはボランティア出演。仲間や地元への感謝の気持ちが伝わってくる。
還暦間近のオッサンは45歳のオッサンのファンクラブに入ることを決めた。
BayPRESS 839号 /2018年03月10日発行
東日本大震災から7年。津波避難ビルに指定されている清水シティホテル(JR清水駅前)で、光る木の手摺「ははのて」見学会が行われた。
ぬくもりある木製(タモ材)の手すりにLED照明が組み込まれ、人が通るとセンサーで点灯する仕組み。災害時には誘導灯として避難行動を助ける。ホテル内1階から7階、非常用外階段1階から6階に設置された。静岡市の津波避難ビルの整備補助金を活用。屋上には蓄電池のほか給湯タンクを設置。停電時でも電力や温水の供給も可能となった。災害は季節や時を選ばない。避難してきた人たちにとっては有難い配慮だ。
これまで地域の方々には本当にお世話になってきた。少しでも恩返しができれば」と話す村上信也社長。「ホテルだから24時間対応できる」とも。見学会は「ははのて」を開発した辻町の大日工業㈱が主催。施工にあたった興津の池田建設㈱、村松の篠田電機㈱ほか、市、商工会議所、県工業技術研究所、施工に携わった地元企業が完成を祝った。
優しく足もとを照らす「ははのて」の光に、心も温かくなるひと時だった。
BayPRESS 838号 /2018年02月24日発行
今月13日から来月14日まで、清水庁舎移転に関する市民からの意見募集が始まった。初日、田辺市長は清水駅で「多くの市民から意見を」と呼びかけた。
しかし、1月25日の記者会見では、清水庁舎を清水駅東口公園に移転する方針は「たとえ反対意見が多くても変更しない」と断言。市民との意見交換会も「実施しない」という。
また、建設検討委員会の「説明が拙速で足りない」との指摘には、自治会を通じて「配布しているパンフレットが一つの誠意だ」と語り、「市民の代表である検討委員会に理解してもらった」と話すが、10名の委員中市民公募は2名、しかも応募総数は5名だった。
公募委員の発言は中立的で高く評価できる。ただ、市長委嘱の委員会を「市民の代表」と位置づける神経が分からない。何のための意見公募か。そもそも市民に問うべきは「移転方針に対する意見」のはずだ。
意見は、住所・氏名を明記のうえ郵送のほかスマホ(市HP)等でも受付。
BayPRESS 837号 /2018年01月27日発行
「西郷(せご)どん」は鹿児島市加治屋町に生まれた。江戸時代は下級武士の居住地だったが大久保利通、内閣総理大臣山本権兵衛など数多くの偉人が育った。司馬遼太郎は「明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなもの」と評した。
薩摩藩には地域ごとに郷中(ごうじゅう)とよばれる、独特の青少年教育があった。特定の師を持たず、先輩が後輩を指導し、お互いに助け合う。歴史学者、磯田道史氏によれば、子供たちはここで判断力、決断力、そして実行力を伴った「知恵」、そしてリーダーシップを身につけた。
こどもクリエイティブタウン「ま・あ・る」が5周年を迎えた。小学生が仕事体験等を通じ自主性や創造性を育み、社会・経済の仕組み学ぶ。時代や社会背景が変わっても変わらないことがある。知恵は人とのかかわりの中で学ぶもので、知識はその道具。さらに知恵とは知識を使って人に役立つものを作り出すこと。
「ま・あ・る」が今後、さらに進化し、やがて、日本や世界をリードする経営者など優れた人材が育つことを期待したい。
BayPRESS 836号 /2017年12月09日発行
12月3日は、地域防災訓練の日。各地で自主防災による避難訓練などが行われた。
最も大切なことは発災直後、自分と家族の命を守ること。訓練の成果が発揮できるかはそれからだ。言い方は悪いが即死ならまだしも家具や柱に挟まれ、激痛に耐えながら長時間救助を待つのはつらい。
平成7年に起きた阪神・淡路大震災では、死者の8割以上が建物の倒壊、家具の転倒などによる圧死だった。救出されたのに数時間後に死亡するクラッシュ症候群も多数含まれる。各家庭での家具等の転倒防止、家屋の耐震対策が不可欠だと思う。特に昭和56年以前の旧耐震基準で建てられた木造住宅は大きな被害が予想される。
マグニチュード8~9といわれる南海トラフ巨大地震の発生確率は、10年以内に20%から30%と極めて高い。
静岡市では県と協力して、「プロジェクト TOUKAI(東海・倒壊)-0」を推進している。専門家による診断事業、木造住宅耐震補強事業、ブロック塀等耐震促進事業などメニューも豊富だ。状況に合わせて丁寧に相談に乗ってくれる。都市局建築部建築指導課安全推進係
BayPRESS 835号 /2017年11月25日発行
「中学校の教科書にも書いてありますが地方議会は制度上、与党なんてないですよ」。姫路市で開かれた全国市議会議長会フォーラム。議会改革先進市、会津若松市議会の目黒章三郎議長は全国から集まった約二千人の市議を前にこう切り出した。自らを与党と称し市長の引き立て役になっている議員たちへの痛烈な皮肉だ。
「古いモノを見たければ博物館か議会へ行け」と言われないよう不断の努力を…。伊万里市議会の盛泰子前議長は「二度と定数削減を突き付けられない議会」を目標に改革に着手。緊張感の中で議員の資質が高まっているという。
いたるところで議会不要論さえ出ている。一方、「もし議会不信が表面化していないとしたら、『議会のドン』が自治体を牛耳っている証拠、むしろ最悪」。東大政治学研究科の金井利之教授はこう指摘した。
改革に前向きに取り組んでいる議会とそうでない議会、二極化は一層進む。「一般的に改革推進派は2割。中間が6割。反対派が2割。まずは積極的な2割で前に進め」と四日市市議会の豊田政典議長。
市民にとって本市の議会はどうだろうか。改革に向け不断の努力が必要だ。
BayPRESS 834号 /2017年11月11日発行
何が彼を動かしたのか…。IZU PHOTO MUSEUMで開催の「澤田教一 故郷と戦場」展に行った。
学生時代に澤田の残した一枚の写真に衝撃を受け、憧れた。UPI通信の報道カメラマン。1936年青森市生まれ、29歳で戦火の絶えないインドシナ半島に赴き、34歳の時、取材中にプノンペン近郊で銃殺された。
写真展のメインは1965年にベトナムの激戦地で撮影された「安全への逃避」。これこそ、私が衝撃を受けた一枚の写真だ。米軍の爆撃から逃れるため、幼い子供たちを抱え、必死の形相で川を渡る二組の親子。銃弾をかいくぐりながら撮影したこの写真が世界報道写真大賞、ピュリッツァー賞を受賞。彼を「世界のサワダ」に押し上げた。
さらに決定的な写真を撮るために、彼はより危険な戦場へ。その動機を、名誉欲や金銭欲、危険を乗り越えていく陶酔感と評する人もいた。
写真をじっくりと見ながら改めて考えた。彼を戦場に駆り立てたのは何か。それは、報道の「良心」と「覚悟」、プロカメラマンとしての「自信」であったに違いない。
文化の日、学生時代に戻ったような気分になった。