プリズム

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BayPRESS 964号 /2024年06月27日発行

清水は空襲で大きな被害 戦後79年目の夏静岡で企画展

 戦後79年目の夏。戦死者は日本人だけでも民間人80万人を含む310万人。戦争は他人事でも過去の話でもない。

 私の叔母は昭和20年8月7日、豊川海軍工廠で戦死した。清水の親元を離れ、女子挺身隊として徴用されていた。午前10時30分、東洋一といわれた兵器工場にB29の大編隊が来襲した。無数の爆弾焼夷弾の雨を降らせ、工場内は一瞬にして修羅の巷と化した。

 戦死者は2500 名を超えた。享年22歳。許婚がいた。祖母は終戦の8日前だったことを終生悔やんでいた。

 清水を目標とした空襲で亡くなった方も少なくない。7月7日、0時33分から約1時間30分、巴川と東海道線が交差する地点を中心点と定めB29の攻撃で、旧清水市域の約半分が消失、151人の命が奪われた。7月31日の艦砲射撃では、相生町、松原町、美濃輪、下清水が被害を受け、44人が犠牲になった。

 伝馬町の静岡平和 資料センターで企画展「静岡の戦争と空襲12」を開催している。静岡の戦争を時系列で解説、市民から寄贈された遺品のほか、焼夷弾等を展示。毎週金・土・日曜11時から16時、入場無料。


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